したがって少しでもその負担を軽減し、またしても持続可能な生き方ができるようにする今日の脅威を受けて、私たちはまた感覚を磨き直さなければならない。
人間活動と自然環境との隠れた網の、その接点の精妙さを理解しなければならない。
このように人類全体が目覚めることで、個人の行動のみならず、商業や産業のあり方の前提条件も変わっていくだろう。
ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナーは、IQについて、学校でうまくやっていく知的能力以外にも、人生をうまくやっていく上で必要なさまざまな能力があると主張し、それらを七種類に整理している。
建築家の能力の源泉になるような空間認知能力から、教師や指導者として成功するために必要な人間関係にまつわる能力に至るまでだ。
こうしたインテリジェンスのいずれもが、直面する問題に適応し、うまく暮らし続ける力のもとになる。
人間が気象や地理上の過酷な環境に対して適応できる独特の能力を持っていることは、間達いなく有意義なことだ。
ガードナーは、いかなるパターン認識も、自然を観察・認識する能力に根ざしているという。
すべての土着の民族は、こうした能力を活かして環境に適応している。
今日のエコロジカルインテリジェンスは、こうした土着の自然主義者が持っていた能力を、化学、物理学、生態学他さまざまな専門領域に発展させ、分子レベルから地球環境レベルまでのさまざまな規模でダイナミックなシステムを見ていくものだ。
物事や自然の働きについてのこのナレッジには、人造物と自然とのさまざまな関わり方の理解も含まれる。
つまりはエコロジカルインテリジェンスである。
こうした包括的な理解なくして、自らの行動と地球球境、私たちの健康、社会システムに及ぼす日に見えない影響はわからない。
エコロジカルインテリジェンスはそんな認識を、あらゆる人の情動を掻き立てる形でもたらす。
社会的、感情的インテリジェンスは他者の考え方を理解し、共感し、相手を思いやるものだが、エコロジカルインテリジェンスは自然を思いやるものだ。
自然の痛みに目が向けば、何とかしようと思う。
合理的で理性的な閃果関係分析に、そんな思いがこもるのだ。
このインテリジェンスを身につけるには、人間と自然を別個のものと考えていてはいけない。
実際、私たち人間も自然界の系の一部として生きているのであり、n然界に対する影粋は、多かれ少なかれ私たちに跳ね返ってくる。
こうした相互関係、人間活動と自然の営みを結び付けている隠れたパターン、その典の彩粋などを、理解し、共有する方法を兇出さなければ私たちは進化の縦路に入り込んでしまっている。
古代に私たちを導いていたエコロジカルインテリジェンスは、前史時代の過酷な環境での生存に向いていた。
かつてなら次の飢餓に備えてできる限り多くの脂肪や砂糖を食うこと、腐った食品を避けるために嫌な臭いを嗅ぐとむかむかすること、捕食動物に襲われたら逃げ出すことは、十分に役に立った。
こうした本能がしっかりと根付いていたおかげで、私たちは文明人になれたのだ。
その後の世紀を経て、現代的な技術に囲まれて生きる多くの人間の生存スキルは退化してしまった。
職業競争の厳しさのあまり今では職の専門化が進み、自分の専門領域以外は他人に任せるようになった。
誰もがごく狭い分野の専門家だが生活全体は他の専門家農民ソフトウェア技術者栄養学者機械工に任せる。もはや自然界への自分の勘頼りでは生きられなくなっているのだ。
また、自分たちの世代が得た英知を、次の世代に受け渡すこともできない。
生態学者は、天然の系は大小さまざまな規模で動いているという。
マクロレベルでは、炭素が地球規模でどう流れているかを考える生物地球科学的循環などがある。
こうした分野では、物質の濃度の変化は年単位などではなく、世紀や地質学的時代の単位で考えられる。
森林の生態系は、植物、動物、昆虫、果ては土中の微生物などの絡み合いのバランスを取っており、それぞれが進化上の隙間を見つけ、自らの遺伝子をともに進化させていく。
ミクロレベルでは、物事はミリメートルやミクロン、わずか数秒などの単位で進んでいく。
こうした串ごとが大きな変化を及ぼしていることを、いったいどうすれば知覚し、理解できるだろう。
「ある人を感涙にむせばせる木が、別の人にとってはただの緑の邪魔者にすぎない」詩人ウィリアム・ブレークは記している。
「人によっては自然を奇形だと考えるし、巾には脚然などろくに見ていない人もいる。
だが想像力ある人にとっては、側然とは想像力そのものである。
彼は人間として」自然を見るということについては、こんな感性の違いが大きな違いをもたらす。
氷原から流れ出した流氷や流れゆく氷河に取り残されたホッキョクグマは、地球湿暖化についてのイメージを強く訴える。
私たちは自然に正面から向き合い、内分泌系細胞をいかに撹乱し、海水伽を上昇させるかについて知らなければならない。
人間活動がさまざまに地球環境を撹乱している様子を感知する感覚器は、私たちには備わっていない。
新手の脅威に対するには、新たな感覚を膳かなければならないし、私たちの知覚系のレーダーを超えた知覚能力と対処法を身につけなければならない。
エコロジカルインテリジェンスが重要になるのは、このためである。
思考をつかさどる新皮蘭は、進化を通じて柔軟性を独得してきた。
新皮質は見知らぬ小象に気付き、理解し、考えを整理できる。
だからいまは目に見えない肖分の行動の結果、それへの対処法も、理解できるはずだ。
こうしてこれまで脳に刻み込まれていた本能の知覚限界を補えるのだ。
エコロジカルインテリジェンスは、太古の昔から脳に刻み込まれてきた警戒、恐怖、本能的な感覚が織りなすゼネラリスト的能力と一緒に伽かなければならない。
たとえば喚覚をつかさどる中枢も、恐怖などをつかさどる小脳馬桃も、進化を通じて確立した脳の力で組み替えることは容易ではない。
だが新皮質は、意識的な学習を通じて、そうした限界を補うものである。
喚覚とは、揮発性のある物質の分子が空中に浮遊し、私たちの鼻に到達して知覚されるということである。
脳はそれに対しプラス/マイナスの反応をし、腐った肉を遠ざけ、焼きたてのパンを好ませる。
だが今の暮らしでは、塗りたてのペンキや自動車の車内の匂いなどを感知したら、毒性物質と認識し、避ける気持にならなければおかしい。
同様に、玩具に含まれている鉛や、大気を汚染しているガス、また食品に含まれている無味無臭の毒性物質なども、わかるようにならなければならない。
私たちが「わかる」ようになるのは、科学的発見というごく間接的な方法によってのみである。
ものを知る次元が違うのだ。
集約的なインテリジェンスを皆で共有すれば、社会全体に認識が広がっていく。
一人の人間が複雑な因果関係を理解し、他者に伝えれば、知見は集団の記憶の一部となり、必要に応じてどの個人も引き出せるようになる。
大規模な組織では、インテリジェンスはこのように分散している。
病院では医療技術者は一つの職務をうまく担い、外科医も放射線技術者も、それぞれの仕事を巧みにこなせる。
こうしたスキルや知識を結集することで、患者に必要な治療を施すことができる。
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